1993-11-12 第128回国会 参議院 産業・資源エネルギーに関する調査会 第3号
しかし、先生御指摘のように、高速道路とか新幹線という問題になりますと、これは一発電所の問題あるいは一地域の問題ではなくて、地域の総体計画の一環としていろいろ計画を推進するということでございます。私ども電力会社といたしましては、そういう計画を少しでも促進していただくようにいろいろな働きかけをさせていただいているところでございます。
しかし、先生御指摘のように、高速道路とか新幹線という問題になりますと、これは一発電所の問題あるいは一地域の問題ではなくて、地域の総体計画の一環としていろいろ計画を推進するということでございます。私ども電力会社といたしましては、そういう計画を少しでも促進していただくようにいろいろな働きかけをさせていただいているところでございます。
一つは、十カ年戦略の総体計画、それと具体的な事業推進、先ほどいろいろありましたので、詳しい中身は別でありますけれども、端的に総体計画と具体的な事業推進、とりわけ財政規模を改めてお示しいただきたいと思います。
国が二兆円強、地方自治体が二兆円強、そして老人福祉センターとか養護老人の収容の施設等の福祉法人の負担分が二兆円弱という形で、大体六兆円強の総体計画でございます。
完全にそれをしてしまう前に観光開発をやると湖が汚れるから、観光開発はその後なのだと、そこまでとは言いませんけれども、少なくとも総体計画の中で橋やリゾート地域振興ということも考えていただきたい、こういうことなんで、下水道の補助率だけの問題ではございませんので、その点ひとつもう一遍。
先生の御指摘は、一つはきちんとした総体計画を立てて、その面積を実現するためには地代助成を行ってはどうかというふうに理解いたしましたが、この事業は、全体として頭から計画を決めてそれを義務づけるというようなことではなくて、実際にその農地を出してくれる人がどのくらいいるだろうか、面積はどのくらいになるだろうかということは、トライアルといいますか、実施をしていく段階におきましてだんだん沸き上がってきてそれがめどが
このことは行政管理庁の行政監察結果でも、昭和三十八年の河川改修総体計画書の中で、連続堤とする必要があるかどうか検討することが懸案事項として残っていた、また、締め切らない、つまり霞堤のままとしておくことが確定したことを示す記録もない、こう報告されておりまして、裏づけられております。
それから、行管の方では三十八年度以降やったかやらぬか、そういう事実がわからないと言いますけれども、私どもの方で調べたところによりますと、三十八年の総体計画から四十三年の箇所別変更をやる間におきまして一度もやったことがないという事情聴取を得ております。
総体計画、箇所別変更調査、これが原議がない、昭和四十二年から四十四年、工事実施計画書、この三冊についてはおもて書きが紛失していたという大変な問題が出てきました。一番肝心なところで、いかなる人が判を押したか、それからまた、いかなる理由でこの霞堤を連続堤にしたかという理由を書いた文書がなくなっちゃってるわけですね。そして建設省が衆議院予算委員会小委員会に提出した文書ではこう書いてある。
そして、まず三十五年の五カ年計画のとき、また三十八年の総体計画のとき、また四十年の五カ年計画のとき、すべて霞堤計画に計上されておったわけでございます。そして河状の変化を見て四十三年に霞堤をいわゆる締め切ってもいいと。先ほど申し上げましたように、純粋に技術的に検討して決めたものであるということは私は確信しております。
○説明員(松井稔君) 昭和三十七年九月に作成された現存する直轄河川改修総体計画懸案事項調書というものがございます。それからもう一つ現存する調書といたしまして、直轄河川改修総体計画懸案事項打ち合わせ調書というのがございます。これは、この打ち合わせ調書に基づきまして北陸地方建設局が本省と打ち合わせました結果、先ほどの三十七年九月に作成されました調書が作成されたというふうに考えております。
まずこの地区につきましては、昭和三十八年度の総体計画におきまして霞堤として掲上されておるわけでございます。その際に、それを締め切るかどうか今後の懸案事項ということで残されておったわけでございます。それから昭和四十年度以降の直轄河川改修の新五カ年計画、これは第二次五カ年計画でございますけれども、ここにおきましても霞堤として掲上されておる次第でございます。
と申し上げますのは、昭和三十八年度の総体計画……(瀬崎委員「この二年間のことだけ、何をしたか」と呼ぶ)この二年間におきましては、その後検討しておりません。新しい事実はございません。
ここにおきまして、監察の結果としましては、その概要は、この蓮潟地区における築堤計画、昭和二十八年度以降信濃川改修総体計画というものがございます。さらには三十八年度以降に信濃川上流総体計画というものがございますが、それぞれにはあの築堤計画は霞堤として掲上されているという事実があります。ただ、これらの計画におきましては、この霞堤を締め切るか締め切らないかということについては、懸案事項として判断を……
大体全体の基地八百ヘクタール、これは基地周辺の土地も若干含まっておりますけれども、総体計画八百ヘクタールといたしまして、業務用用地、たとえば行政施設——お役所を建てるとか、そういう業務用施設に百ヘクタール、それから大学、地元のお話によりますと東京大学六十ヘクタール、都立大学四十ヘクタール、それと公園用地といたしまして、大公園、緑地といたしまして二百四十ヘクタール、住宅用地といたしまして二百六十ヘクタール
総体計画の懸案事項の検討につきましては、工事に着工する直前の時点におきまして詳細な検討を行うという例が多うございまして、当蓮潟地区につきましても、締め切り堤着工当時において検討を行ったものというふうに考えてございます。したがいまして、信濃川の計画高水流量九千トンに対しまして蓮潟地区の遊水効果は少ないだろうということは前からわかっていたというふうに思われます。
昭和四十一年の十月、橋本大臣がかすみ堤を締め切る意思はないというふうに答弁をしたということは、昭和三十年以降の信濃川の上流総体計画及び昭和四十年度以降直轄河川改修新五ヵ年計画におきまして、かすみ堤として掲上されていることによりまして、四十一年十月時点におきましてはかすみ堤とする趣旨でございます。したがいまして、以後の、連続堤として検討することまで否定した発言ではないというふうに考えられます。
その中で問題は、昭和三十八年度以降信濃川総体計画でかすみ堤となっていたものが、昭和四十三年度において計画が変更され、連続堤になるわけです。そしてこの間の昭和三十九年から昭和四十一年まで、室町産業が河川敷の買い占めを進めます。買い占めた後で連続堤へ変更する計画が発表されるということになるわけです。
また、永久に保存すべきものと認められる総体計画及びその変更については、文書取扱規程上の文書に該当しないものと解釈しており、その原議が保存されていない。」等々指摘をされておりまして、だれの目にも不明朗な印象はぬぐえないばかりでなしに、疑惑の面を深めざるを得ないと思います。長官の御見解をお尋ねいたします。
三十八年度以降総体計画の策定後から四十一年十月の橋本建設大臣の国会答弁に至るまでの間につきましては、主として元河川局長古賀雷四郎氏それから元河川局治水課長渡辺隆二氏でございます。それから四十一年十月の橋本建設大臣の答弁から四十三年の七月の締め切り決定に至るまでの間につきましては、元河川局長の坂野重信氏それから元治水課長の西川喬氏でございます。
○説明員(増岡康治君) 昭和四十一年に当時の橋本建設大臣が答弁なさった内容につきましては、御承知のとおり三十八年の総体計画を受けてそのとおりを申されたわけでございます。
○増岡説明員 さようでございまして、二十八年に総体計画を議論したことがございます。
○増岡説明員 ただし書きだったと——私いま記憶ございませんが、三十八年度の総体計画の文書があると思いますが、これを読ましていただきますと、「昭和三十八年度以降総体計画懸案事項の総括」という書類が残っておりまして、この中に「蓮潟地区の築堤計画について」という題がございまして、「現計画は霞堤となっているが、遊水池とすることの経済効果等を調査し連続堤とする必要があるかどうか検討する。」
○増本小委員 そこで、三十八年度の総体計画以降四十三年の計画変更がなされるまでの間検討は行われなかった、こういうように認められるというようにおっしゃっているわけですね。そうすると、三十八年度の総体計画では、この蓮潟地区の築堤工事は霞堤だけれども、本堤にするかどうか、連続堤にするかどうかという点は懸案事項として残されていたというように理解をしてよろしいわけですか。
そこで、先般行われました行政監察報告によりますと、昭和三十七年二月、北陸地方建設局と長岡工事事務所との間で総体計画改定のための打ち合わせが行われた。その結果、「蓮潟地区を霞堤とすることは意味がないので、現計画法線に沿って延長し、締切ることにする」となっている。すなわち現地の決定だと思います。そうなっていると行政監察報告はしております。
○政府委員(増岡康治君) 今日残っておりますのは、先生がおっしゃいましたこの直轄河川改修総体計画懸案事項打合せ調書という昭和三十七年のものが残っております。これはいまおっしゃいましたとおりでございますが、これに対する打合せ調書以外は不明でございます。したがって、この出席者云々については確認はございませんけれども、当然ながら予想されますのは、北陸地建の本局ではまず河川部長であろうと思います。
○政府委員(増岡康治君) 何度も議論がなされてきたわけでございますが、この昭和三十八年度以降信濃川上流総体計画というのが最近におきます一つの大きな基本計画でございます。この三十八年五月におきましては、当地区はかすみ堤計画ということで決まったわけでございます。
○増本委員 そこで、建設大臣、もう一つ、一体この霞堤が連続堤になったというのは、三十八年の総体計画を四十三年の七月に箇所別変更をすることによってなした、そういうように行政管理庁には説明をしているのですが、その点は間違いございませんか。
○増岡政府委員 いまおっしゃいましたように、総体計画がありまして、箇所別変更した結果の最後のオーソライズは、毎年度におきます実施計画書の承認でございます。おっしゃるとおりです。
○鈴木(博)政府委員 前に御指摘いただきました八ページの表現のところでございますが、総体計画、その変更については、行管といたしましては、総体計画を全体計画と見まして、永久保存という認識をしたわけでございます。しかしこれは、建設省の方では全体計画と総体計画が違うという認識でございますので、これは必ずしも合わなくて、永久保存になっていないわけでございます。
それで、いずれにしても三十八年の段階で現地の長岡の北陸の地建の方としては、三十八年に信濃川上流の総体計画をやって、そして霞堤が含まれており、これを本省に建議しておる。本省に建議すれば、あの地区には国有地があるのです。国有地の所管は大蔵大臣、当時の大蔵大臣は田中角榮氏であります。だから知らないはずはないのです。相談は当然、国有地が含まれておりますから……。
御案内のように、四次防の総体計画、これは主要項目につきまして申し上げますと、陸上自衛隊が戦車二百八十両、装甲車百七十両、自走火砲九十門、作戦用の航空機が百五十九機、それから地対空の誘導弾、ホークでございますが、これが三群でございます。
じゃ、昭和三十八年度の、いま説明がありました総体計画を練り直し、そして四十年の四月には基本計画をされて、四十年の五月にはこれが決定した。この時点の予算関係の最高の責任者であります大蔵大臣はだれでございましたでしょうか。
○田代富士男君 まあ同じことを繰り返していてもしかたがありませんから、いまの御答弁を私が再確認いたしますならば、二十八年に総体計画があった。そして十年間はそのままの状態できて、昭和三十八年に再び総体計画を練り直しをした。その段階で、現在でき上がっているかすみ堤の調査計画がなされた。で、四十年の五月にこれが着工する段取りになった。
二十八年の総体計画からその後十年たちまして、昭和三十八年に再び総体計画の見直しをやっておるわけでございまして、この三十八年の総体計画は御承知のように従来どおりのかすみ堤の計画でございましたわけです。三十八年に見直ししたものが実際に工事になるのが、先ほど申し上げました四十年の九月でございまして、これはかすみ堤としての着工でございます。補足さしてもらいます。
それから次に、開拓道路の総仕上げの問題ですが、いまの七百カ所、五カ年計画と言っておるが、これは総体計画は、一応七百カ所なら七百カ所、五カ年として、七百カ所の総延長は何ぼなのか、それに対して五カ年の年次計画はどうなのか。七百カ所全部五カ年に入っておればけっこうでありますが、入っていなければ、それはどういう理由で入らないのか、ひとつお聞きしたいと思います。
総体計画はありますが、中で限度額をきめてやる。これも同じような方式をとるべきだと思うのですよ。そうでないとこれは予算が非常にわかりずらい、わからない。いま言われて私はわかったのです、ここにあるということが。あると言われても込みであるのですから、ただ説明だけのあれで、黙っていたら審議ができないですよ。どうですか。